取材で得た執行の情報を逐一伝えていく報道に対し、ツイッター上では、「7人もの死刑執行を予告し、TVで順次、執行状況を報道するなんてやっぱり異常事態だよな」「こんな死刑執行の報じられかた、初めてじゃないですか?」などと驚きの声が上がった。中島岳志・東京工業大教授(日本思想史)は正午前、ツイッターに「いま行われているのは、死刑のショー化・見世物化に他ならない。執行場面だけが不可視化された公開処刑だ」と書き込んだ。
死刑囚写真に次々「執行」シール TV演出に疑問の声も
私としたことが、今回は全く来ませんでした。国会会期中で、しかも井上死刑囚は最近再審請求したかと思います。この二つが重なってる段階で本来死刑は無いケースです。それが7人同時執行というのは、本当に異例中の異例だったということだと思いますね。 https://t.co/xxgh2s5J9K
— マザー・テラサワ (@Mother_Terasawa) 2018年7月6日
小生は死刑反対派である。ニンゲンの命がどうこうだからというのではなく、そもそも死刑とはなんのためにあるのかという意味において、いまの制度は中途半端であるからだ。刑罰というのは復讐の手段ではなく、社会における犯罪抑止のためにある。
だから犯罪抑止になるのであれば”公開処刑”があってもいい。犯罪抑止になるのであれば、ショー化や見世物化にもならない。あくまでこれは極論であるけれども。
それともうひとつ、いまの死刑までにいたる制度は、最終的に”はい殺処分しました。これで終わり”でしかない。システムとして死刑にするだけなら、やってもしょうがない。
いまの制度で死刑になるヤツといったら、無反省のまんま再審請求を出しつづけるヤツか、無反省のまんまニヒリズムに則って”さっさとやれよ、死ねば終わりだ”というヤツばかりではないか。それならば終身刑という制度をつくって、被害者の遺族が面会したいといえば、いつでもできるようにするのがよろしい。
百歩譲ってもし死刑制度を続けるというのなら、十三階段をあがって絞首台にいたるまでの様子を被害者遺族が直接みられるようにし、NHKも生中継すればいい。もちろんEテレだ。死刑というのは本来それぐらいの重要な意味がある。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。
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