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 小生には議論ということについて、こだわりみたいなものがある。それはあくまで議論というのは社会について語るものであって、相手を攻撃するためや、レッテルを貼るために存在するのではないというものだ。

 だが実際にはインターネットを中心にして、”議論”は相手にたいする人格攻撃の道具にされたり、自己主張を一方通行で述べるだけのものになりつつある。社会を語る議論にはそもそも勝ち負けなどないはずなのに、やけに勝ちにこだわる者も多い。

 勝ち負けにこだわってしまうと、結局はデマゴーグがはびこったり、最初は一対一の議論であったのが、どっちが多数派を形成するかの”勝負”の話になる。そうなると議論そのものが不毛になり、次第に”問答不要”になる。

 ”問答不要”になるとどうなるかというと、裏で圧力をかけるなど、工作をしだして相手の言論を封鎖してしまう。いま現実にそうなってはいないだろうか。もはや最初から問答不要になってしまっている。

 だがもう一度いうが、社会のことを議論・論争するのに勝ち負けなどないのだ。年の功や学歴などの差でコテンパンにやられたとしても、その結果がすべてなのではない。むしろちっぽけなことだ。社会について疑問を持ち自分や他人と問答する。その行為こそが重要なのである。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。