ハードボイル道 ~死生観と生き方を考えて~

表題のとおり。あとおまけとして管理人が撮影した写真も載せてい〼

カテゴリ: 日記

IMG_0348



台風の状況は明日になってみないとわかりませんが、記録的な台風の最中を「出勤」させる会社は間違いなく「ブラック企業」と言えるでしょう。

「どうしても会社に行かなければならない仕事」というのも、世の中には存在するのでしょう。が、そうした仕事が存在する企業、そして社会は不健全であることに気付くべきです。

「10年に1度の台風」のなか、社員に出社させる会社は「ブラック企業」だ

 そうはいわれても出勤せねばならぬのだ。昨日は休みだったのだが、職場から電話がかかってきて、「きょう来て泊まる?」と言われた。ちなみに仕事は障害者施設の生活支援員である。

 休みは1日満喫したいタチであるので、「明日這ってでも来るから」とお断りを入れた。台風が来るとイケダハヤト氏のコトバを思い出す。そうなのだ。小生の仕事は不健全なのだ。仕事そのものが必要かどうかというのはあくまで別の話で、不健全なのである。

 仕事をしていようが、人並みの文化的生活(盆暮れ正月が休めないなど)ができないような仕事をしているニンゲンは不健全なのである。どんなに人の役に立っているかというのもこれまた別の話で、宗教なども絡んだ、ニンゲンそのものの本質のハナシである。

 こういう介護の仕事をしていて、待遇のハナシになると、努力をしてこなかったからそういう仕事をせざるを得ないのだと言うニンゲンが出てくる。そのようなことを言われなくても、その仕事をやっているニンゲンがいちばんよくわかっているというのに。

 ニンゲンっていうのは、はじめから努力できるヒトと、ケツを叩かれてようやくとりあえず動き出すヒトがいるのである。死んだときに結果としてオーライだったらいい。歳を取るとそうなってくるのだ。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
このエントリーをはてなブックマークに追加

IMG_0381


今日もまだまだ暑いですねっ! 水分補給はしっかりと体調崩されないようにしてくださいね。 皆さま、 たくさんのいいねやコメントありがとうございます。 皆さまの意見を聞けたこと。 想いを聞けたこと。 とても、嬉しかったです。 反省すべきところもたくさんです。 大切な友だちや先輩や後輩、いろいろな方々からも連絡をたくさんいただきました。 私は改めて、人に恵まれてるなぁ。 と実感しました。 もっと大切にしていかなきゃ! こんなにたくさんの方に支えていただいていることを感じながら 毎日の笑顔と感謝を忘れず頑張ります! これから更新頻度も頑張って上げていくからねーっ!

剛力彩芽さん(@ayame_goriki_official)がシェアした投稿 -



前澤社長、剛力彩芽が再開したインスタ写真を撮影したことを告白「この笑顔が大好き」


 今週、お昼のワイドショー界隈で話題になっていた、剛力彩芽さんとZOZOTOWNの前澤社長の交際について。ごくごく少数いる小生の周りのヒトたちは、たぶん言うにちがいない。どーでもいいって。

 わかっている。小生はテレビ好きであるので、起きるとテレビをとりあえずつけてしまうのだ。いかんせん休みも時間帯も不定期な仕事をしているから、世間の曜日および時間の感覚を認識するためでもある。

 そしてお昼にテレビをつけて坂上忍の姿を観ようものなら、うっせぇなおっさん、あんたも人様にエラそうに言えるほど、大した人生なんぞ送ってねえじゃねえかと心の中でつぶやくのである。

 小生のなかで、剛力さんはかわいい子のカテゴリーに入っている。ただあまりオフの写真をインスタグラムに掲載していいタイプのヒトではない気がするのだ。だからそういった部分もふくめて、なにか利用されているなという感じがする。

 どうもあの手の社長さんって、宣伝目的とおのれの自己顕示欲のため、”それなりの”有名人との交際をアピールするきらいがある。ニュータイプの成金趣味とでもいおうか。とりあえずプライベートジェットを持っているヒトってそう。あくまで偏見。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
このエントリーをはてなブックマークに追加

IMG_0328[1]





 ニンゲンは喜怒哀楽と同じような感情として侮蔑をする。ただニンゲンであるから、理性を以てコントロールする。侮蔑をする者それを咎める者、その違いは理性の使い方の違いにすぎない。

 日本人であるからには、基本的人権というヒトもいれば、人間基本的(に異性を愛するのが普通)というヒトもいる。違いは前者の方が、公に主張しやすいということだ。だが主張はせずとも、後者の考え方を持っているヒトは相当数いるはずだ。

 小生は古谷さんや常見さんの意見に同調するが、きっと多数派ではないと考えている。杉田議員の言い方はあれかもしれないけど、あながち間違っていないよなと考えているヒトは多くいる。ただ”サイレントマジョリティー”であるというだけのことだ。

 この静かなる侮蔑者という存在は根深い。杉田議員は発言権のある政治家として、静かなる侮蔑者を煽動するやり方が巧妙なのである。たぶん多くのヒトは彼女を断罪しようとしないであろう。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
このエントリーをはてなブックマークに追加



 ”これは差別ではなく区別”と発言するニンゲンが時たまいる。そういうニンゲンの多くは、じゃあ差別と区別はどう違うと聞かれても答えられないパープリンであり、単に自己正当化がしたいがために便利だからということで使っているに過ぎない。

LGBT支援に関しては、2015年3月に自身のブログで「生産性のあるものと無いものを同列に扱うには無理があります。これは差別ではなく区別です」とも発言。

 つまりはこの杉田水脈というヒトも、そのパープリンの類ではないかとみている。この一連の”生産性がない”発言も安直すぎる。いまの時代こういうわかりやすい下衆な発言の方が、一部のヒトビトの熱狂的な支持を受けられるようだ。

 生産性というのは、子どもを産むか産まないかというような二元論で単純に語れるものなのか。独身であっても、仕事で世の中の役に立つことだって、社会の一員として子育てしているヒトを助ける活動をすることだって、生産性があることではないのか。

 ヒトそれぞれに合った生産というものがあろうに。それにその生産性があるかないかというテーマにおいて、LGBTのヒトだけを攻撃対象としているのが、非常にイヤらしい。多数派を形成したいから、よけいなものまで敵に回さないようにしようという意図がみえみえだ。

 実際は結婚しない、子どもを作らないニンゲンすべてが”生産性がない”の対象であるはずなのに、少数のLGBTのヒトのみをやり玉にあげる。これはつまり「LGBTのニンゲン以外のことは言っていない」という逃げ道でもある。

 思っていたとしても言葉にしなければ、「言っていない=思っていない」とまやかすことができるのである。そういう点ではこざかしさもあるわけで、これはこれでタチが悪いといえるだろう。

 そもそも差別、まあ区別でもなんでもいいが、そこに付随する見えない侮蔑の心というのはタチが悪い。いろいろな悪知恵を生み出し、巧妙に少数派に対してダメージを与えるのだ。小生にできるのは、それらひとつひとつを見抜いて、引き込まれないようにすることのみだ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
このエントリーをはてなブックマークに追加

mig







 まったくもってその通りなのだ。高温多湿な日本で、夏の真っ昼間に競技をやらせようなんて、正気の沙汰ではない。宿る健全な精神も、不健全な身体から抜けていくというものだ。健全な精神さえあればなんとかなるとか思っているヤツ。うさぎ跳びで校庭10周。

 選手の体調面もそうなのだけれども、夏の真っ盛りにやるというのは、日本の美しさと照らし合わせても、ふさわしくない。日本には四季というものがある。そしてスポーツの祭典を美しく締めくくるのも、秋がふさわしいのだ。

 10月10日が体育の日で、この日は1964年の東京オリンピックの開会式であったのは知っての通り。オリンピックは当時15日間であったから、閉会式は10月24日ということになる。

 当時の映像をみてほしい。モノクロームなせいもあるが、なんと美しく幻想的な風景であろうか。幻想的な風景というのは、まだ日も高く暑くて騒々し気な夏の夜よりも、涼しくて日もとっぷり暮れる静かな秋の夜にこそ生まれる。

 どこかの大国の都合かなんだか知らないが、日本の美しき風土の特徴を無視して話をすすめないでいただきたいものだ。きっぱりと断ろうともしない日本のお偉いさんもお偉いさんだけれども。夏にやるという開催案にNOと言えなければ、日本でやる意味はない。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ