ハードボイル道 ~死生観と生き方を考えて~

表題のとおり。あとおまけとして管理人が撮影した写真も載せてい〼

カテゴリ: 日記

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 まずは、日本代表のポーランド戦“最後の10分間のボール回しについて”。
「これは国の文化の違い。日本の文化の中では反発があった。勝負という魅力の中で、負けていて勝負に行かなかったことに“正々堂々と戦うことを誓います”と言えなくなってしまった。行ったらやられるかもしれない…が無意識のうちにあったかもしれない。ポーランドも勝っていたから攻めてこなかった。両国の利害が一致した。今回予選リーグで初めて適用されたルール・フェアプレーポイントの中でフェアプレーでないことが起きてしまった」
と結論づけた。
セルジオ越後氏 日本がベルギーに「勝つ確率は0パーセント」

 なら一体どうすればよかったのか。”フェアプレー”は敗因になることはあっても、勝因にはならない。負けて貶されるぐらいなら、勝って貶される方がいいに決まっている。それが結果を出すということだ。

 そもそもフェアプレーとはなんなのか。日本代表が見えないところで反則をして決勝点を入れましたというなら問題だ。だが今回はルールに則ってグループリーグを突破したわけである。

 それをふまえて、もしセネガルが同様のことをやって、日本が突破できなかったら、セルジオさん、あなたはセネガルにたいしてフェアプレーではないと言うだろうか。きっと言わないだろう。日本代表を腐して終わり。だがそういうダブルスタンダードこそアンフェアだ。

 あの作戦は西野朗監督の英断だった。あれでもし結果的にダメだったら、きっと一人で責任をかぶるつもりだったにちがいない。これぞまさに、勝負に徹するスポーツマンの姿である。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。
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 福岡市内であったIT関係セミナーの男性講師を刺殺したとして、福岡県警は25日、福岡市東区筥松(はこまつ)1丁目の無職、松本英光容疑者(42)を殺人と銃刀法違反の疑いで逮捕し、発表した。松本容疑者は「ネット上(のやりとり)で恨んでいた男性を死なせてやろうと思い、腹と首を刺した」などと話しているという。
刺殺された岡本さん、「Hagex」の名でブログ

 こんばんは。ばたけん参上。

 公の場であるインターネット上でブログを更新するときに気をつけねばならないこと。それは個人をdisることは控えるということ。これに尽きる。コミュニケーションというのは、文字だけでは成立しない。感情が伝わらないからだ。

 文字だけに頼る。文字だけを見て真に受ける。どちらもいけない。文字なんて不完全なものなのだから。だいたいここまでいろいろ書いたが、なぜこれらを”文字”と認識するのか。”文字”という字を形としてだけみれば、ぜんぜん”文字”の意味と無関係なのに。

 ただ先入観でわれわれは、文字という字を”文字という意味なのだ”と認識しているだけにすぎない。それだけ文字というのは不完全なものなのだ。ましてや感情や真意なんて伝わるわけがないのである。

 Hagexさんの件に関しては、彼が加害者に対して「低能先生」呼ばわりするなどしていた。加害者から誹謗中傷を受けていたという事情をふまえたとしても、顔の見えない相手に対してそういう呼び方をしてしまったのは軽率だった。

 死生観を持っていない人間というのは、人の死の痛みや重さに対して鈍感だ。そういう人がキチガイになると、”一発は一発”だからということで、悪口を言われたり、からかわれたりすると、それを”一発”として、刃物で刺すという”一発”で報復してしまうのだ。

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2016.8 Yokohama city



 現在開催中のサッカーW杯ロシア大会。その日本代表チームに寄せられている、ネット上の辛辣な言葉に対し、ペナルティ・ワッキーがTwitterで苦言を呈した。
「厳しい言葉をかけるのも一つの愛情だと思う」と理解も示した上で、「言葉の暴力は代表選手でも傷つくしプレーにも出てしまうような気がしてなりません。愛情の裏返しだと思いますがどうか皆さん、代表に愛のある言葉を」と言及。
「ワッキー自身もサッカー経験者とあって、バッシングに業を煮やしていたのでしょう。しかし、このコメントに対して、『そういう過保護が日本代表のメンタルを弱くする』『暴言浴びたくらいでプレーに影響出るような選手は、代表チームにいらなくない?』『だったら結果残して。プロなら罵倒の言葉も受け止めるべき』といった反論が続出。賛否両論の炎上状態に陥ってしまいました」


 皆さんお元気ですか。実はサッカーよくわかりません!自殺点とか半スローって、いまでも言うの?ばたけん参上!

 ”お客さまは神様だ”的な思考でもって、ネットという公共的空間でプロスポーツを語るのが嫌いだ。その公共的空間で他人がエラそうにかたるのを目にするのも不快である。

 そのなかでも虫唾が走るのが、”プロなら結果を残せ”という物言いだ。だったらお前がプロになってやってみせろとしか言いようがない。そのような体力はない?だったら頭だけで考えただけの、そのエラそうな発言は胸にしまっておけ。

 頭の中でプロスポーツを考えて、声を大きく出す自分は正しいと錯覚している輩は多い。そもそも自分の生活の大部分を、プロスポーツの応援にかけていることじたい、どうなのよってハナシなのに。

 プロスポーツということは、相手もプロなのであって、お互いの技術の競い合いのなかで、一方に結果が伴わないことは往々にしてあるわけだ。それをいちいち取り上げてバッシングするのは馬鹿げている。

 さんざん頭の中だけで考えたことをわめき散らし、最後はお得意の精神論を語る応援バカ。だがスポーツの実力などというのは、根拠なき精神論でつくと思ったら大きな間違いだし。

 それでもそんなにわめき散らしたいのであれば、せめて入場料を払って試合会場でやればいい。そうすればわれわれ一般の者の目にはつかないのだから。まあそれでも勝とうが負けようが、その結果の中にあなたの影響力はひとかけらもないわけだが。

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Fujisawa
長崎県大村市で開催された全九州高校体育大会のバスケットボール男子準決勝で17日、延岡学園(宮崎)―福岡大大濠の試合中、延岡学園の留学生選手が、審判のファウル判定に不服を示し、審判の顔面を殴打した。九州高校体育連盟から報告を受けた日本バスケットボール協会が同日、明らかにした。審判の男性は病院に搬送され、治療中という。
 協会によると、殴ったのはアフリカからの留学生。今後、傷害事件として警察の捜査対象となる見込み。試合は没収試合となった。延岡学園は男子バスケットボールで、全国大会で優勝経験がある強豪。
https://www.asahi.com/articles/ASL6K5CY6L6KUTQP03T.html
 すでにもう日本のメジャーな高校スポーツは、教育や愛郷心などもはや関係ない。強ければそれでいいということになっている。だから金をかけて選手をいたるところから部員を集められる私立の学校が勝つ。

 それだけのことだ。もはやこの留学生だけの問題ではないのだ。遠いアフリカからやってきて、日本の歴史をじっくり学ぶ機会もなく、ただ部活動の練習をさせられるだけ。誰がこの未成年の留学生を責めることができようか。

 特に新聞社などというのは、宣伝のためにあれほどの大規模な野球大会を毎年やっているのだから、それこそ面白半分に報じて、大衆を扇動するのはやめてもらいたい。

 そもそも留学生といえば聞こえがいいが、ぶっちゃけいってしまえば、この制度は学校による人身売買ではないのか。学校の宣伝のための。スポーツ教育とは、いったいなんなのだろうか。

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2018.6.2  Yokohama



 9日の夜、新横浜駅と小田原駅の間を走行していた東京発・新大阪行きの東海道新幹線のぞみ265号の車内で乗客3人がなたのような刃物で切りつけられ、兵庫県尼崎市の会社員、梅田耕太郎さん(38)が死亡したほか、20代の女性2人がけがをしました。

この事件で、小島容疑者の隣の座席に座っていて最初に襲われた27歳の女性が「事件の直前まで特に不審な動きはなく、小島容疑者が立ち上がったと思ったら急に切りつけられた」と説明していることが警察への取材でわかりました。
小島容疑者はさらに別の女性を襲ったあと、制止しようとした梅田さんを切りつけたということで、これまでの警察の調べに対し「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」などと供述しているということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180611/k10011472301000.html

 これまで幾多の日本人が”むしゃくしゃしてやった”といって、人殺しをしたりケガをさせてきただろうか。たかが”むしゃくしゃ”したぐらいでやられたのでは、被害にあった人はたまったものではない。

 そもそも”むしゃくしゃ”って言葉が軽すぎて、捕まってちょっと冷静になった犯人の言い訳のテンプレートのようになっている。こう言っておけば収まりがいいだろうみたいな。

 亡くなった方は、犯人を止めようとして被害にあったそうだが、なぜ危険を冒してまで止めようとしたのか。もうこれは理屈ではなくて、ヒトとしての本能だったのだ。

 この方は、もしこの行動で死に至ったらどうするかというのは、眼中になかったであろう。結果として死の領域に入ろうとしたときに、なにかを考えることはできたのであろうか。

 死はしょせん無であり、意識もそれまで生きた記憶も無に帰すとするならば、人を救うために咄嗟に命を投げうった、その人の人生とはいったいなんだったのか。死生観を考える際のジレンマである。

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